『広報木本のネタ探し~その14~』 世にも不思議なパラドックスの世界・・・!

2019.03.27

パラドックス

 

 

 

ニワトリが先か?卵が先か?
どうも、無益なことを考える担当の木本です。

 

今日はみなさまをパラドックス」の世界にご案内いたします。

 

パラドックスってなに?という方に簡単に説明を。

 

日本語で直訳するところの「矛盾」です。

つまり、論理矛盾のことですね。

 

AとBでどちらかは正しい。

そのはずなのに、突き詰めていくとどちらも正しくない!という現象が、
実はときたま起きるんです。

 

もうわけわからないですか?

ふふふ、頑張ってついてきて下さいね!

実は僕はパラドックスが好きで、無駄にいくつも知っているのです!

そんな中から木本が気に入っているパラドックスをみなさまにご紹介します!

 

「あれ?どういうふうに考えても、どこかおかしいぞ・・・!?」

 

となるスッキリしなさ。モヤモヤ具合気持ち悪い感じ。

 

この、「釈然としない感じ」を楽しんでいただけたらと思います。


では、有名どころから・・・!

 

 

 

嘘つきのパラドックス

 

子供が口を押さえる

 

 

たったの一文なのに矛盾してしまう、世界一短いパラドックスです。

 

それが、

 

「私は嘘つきだ。」

 

という一文。

これのどこがおかしいか分かりますか?

 

このときだけ本当のことを言ったり、

このときだけ嘘をついたという想定はできないものとします。

 

嘘つきは常に嘘をつくし、正直者は常に本当の事を言います。

(実際にそういう人がいるかどうか、ではなくあくまで思考実験ですからねw)

 

さて、この場合、2つのパターンが考えられます。

 

①話者が嘘つきだった場合

 

話者が嘘つきだった場合は、話者は事実と異なることを言います。

つまり、話者の「私は嘘つきだ」という発言そのものも嘘であるはずです。

 

そうすると話者は正直者だということになります。
そうすると①の仮定と矛盾しますね。

 

②話者が正直者だった場合。

 

話者が嘘つきではなく正直者であるなら、自分の性格をそのまま言うはずです。

 

しかし、この場合話者は「私は嘘つきだ」と言っていますね。

この発言が本当のことだとすると話者は嘘つきだということになり、

②の仮定と矛盾します。

 

結果として、

 

話者が嘘つきだと仮定しても正直者だと仮定しても、この文章は矛盾してしまうのです!

 

ね。別に言葉でパッと聞いただけだったら問題なさそうなのですが、

論理的に突き詰めてみると成立しないんですよ~

 

ワクワクしませんか~!?
え!?しない!?

 

はい~どんどん置いていきますよ~w

モヤモヤが足りない!次のパラドックス行ってみましょう!

 

 

 

砂山のパラドックス

 

砂山

 

 

この方が分かりやすいかな・・・?

 

「砂山」についてのパラドックスです!
(同じパターンで「禿頭のパラドックス」もありますが今回は砂山で。)

 

あなたの目の前に砂山があったとしましょう。

ぜひイメージしてみて下さい。

 

ここから、手で一粒、砂を取り除いたとしましょう。

砂山は、今取った分だけ小さくなりました。

 

さて、今目の前にある少し小さくなった砂山はまだ砂山と呼べますか?

 

まあ、まだ1回目なら砂山は砂山のままでしょう。

 

それでは再び砂をひとつぶ取り除いてみましょう。

さらに一回りサイズダウンしましたね。

 

さて、まだ砂山と呼べそうですか?

うん。まだ砂山でしょう。

 

3回目、4回目、、、と砂をひとつぶずつ取り除いていきます。

 

1回目、砂山は砂山のまま。

2回目、砂山は砂山のまま。

3回目、砂山は砂山のまま・・・・。

 

ここに法則性が成立します!

 

つまり、論理的には

砂をとってもとっても砂山は砂山のまま、ということになるんですね。

 

言葉にするなら

 

①「砂山から砂を一粒とっても砂山は砂山である。」

 

ということになります。

 

確かに、そういう法則ですよね。

でもこれをずーっと繰り返していると、いつか砂山の砂つぶの数はひとつになってしまいます。

 

これは流石にもう砂山ではない!

 

①の法則に反してしまうわけです。

 

では、砂山はいつから砂山でなくなってしまったのか・・・?

 

これをはっきりさせることができないというモヤモヤです!

 

論理学の世界では、Aか、Aかじゃないか、というようにはっきりさせる必要があります。

砂山か、砂山じゃないか。

 

このように白黒はっきりつけなくてはいけなくなり、
我々の日常的な感覚とかみあわなくなってしまうんですね。

 

楽しいですね~~♪

 

あれ?そうでもない?

 

まだまだ!3つ目行ってみましょう!

 

 

 

 

テセウスの船

 

テセウスの船

 

 

昔々あるところにテセウスさんという人がおりました。

 

テセウスさんは大きな立派な木製の船を持っていました。

名前はテセウス号。

 

しかし長らく乗っている間にテセウス号のある部分が老朽化してしまいました。

テセウスさんはその老朽化した部分を新しい部品に交換し、修理しました。

 

またある部分が老朽化したので、また新しいものとすげ替えました。

 

このようにテセウスさんは老朽化するたびに、テセウス号の

その部分をその都度、新しい部品に取り替え修理をしていました。

 

気づいたら、結局一通りすべての部品を新しい部品と取りかえていました。

つまり、もともとのテセウス号に使われていた部品は一つもなくなってしまいました。

 

 

 

さて!問題です!

 

この船はもはやテセウス号と呼べるでしょうか!?

 

 

だって、テセウス号だったときの部品はもうひとつも使われていないんですよ?

 

ガンダムのプラモデルで、全てパーツを別のものにすげ替えてしまったら
それはもうガンダムじゃないでしょ!?

 

そう。これがテセウスの船のパラドックス。

 

同一性を問う問題ですね。

 

え?別のものとして扱えばいいじゃんって?

 

ふーん。

 

ところで知っています?

 

人間の細胞って、20日間で全部新しく変わるんですよ。

別のものとして扱おうと言うなら、あなたももうあなたではありませんね・・・・!

 

おっとっと。怖い怖い。次行ってみましょう!

 

 

 

全知全能の神様と岩

 

神様のステンドグラス

 

 

この神様はとにかく全知全能なんです。

この神様に不可能はありません。

すべてのことができます。だって神なんだもん。

 

ある日、一人の少年が言いました。

 

「ねえ!神様!誰にも持ち上げることのできない岩をつくってよ!」

 

神様は全知全能だから当然できますよ。

ほいっと、少年の眼の前に誰にも持ち上げることのできない岩をつくりました。

 

どんな力持ちの人も、動物も当然その岩を持ち上げることはできません。

 

少年は言いました。

 

「さすが神様!ねえ、じゃあ神様、この岩を持ち上げて見せてよ!

 

神様は全知全能なので、岩を持ち上げました。

 

少年は首をかしげて言いました。

 

「あれ、この岩は誰にも持ち上げられない岩じゃないの!?

そっか、神様は誰にも持ち上げられない岩は作れないんだね・・・。」

 

そう、これが「誰も持ち上げることのできない岩」のパラドックスです。

 

もし神様が持ち上げることができたら、それは「誰にも持ち上げることのできない岩」
ではありません。

 

だって神様が持ち上げちゃってるもの。

 

神様だから特別?

だとしても、その岩はやっぱり誰にも持ち上げることのできない岩ではないですね。

 

神様は少年が最初に行った願いをちゃんと叶えてあげられていないということになります。

 

でももし神様がその岩を持ち上げることができなかったら、
それはそれで全知全能じゃないということになります。

 

神様はどうあがいても自己矛盾に陥ってしまう、というお話です。

 

やっぱり「全知全能」というのは人間が作り出した虚像なのではないでしょうか。

もしくは、全知全能とは、存在こそすれ、全知全能ではないぼくたち人間には
分かりえないものなのでしょうか・・・。

 

みなさまも全知全能を名乗る際には自己矛盾に気をつけましょう。

 

 

 

 

1=0.9999999999999999999999・・・?

 

0.9999999...

 

 

最後に数学界からひとつ。

 

みなさんは1と0.9999999999999999・・・は同じだと思いますか?

それとも違う?

 

このとき、0.99999999999・・・以下は無限に9が続くものとします。

 

いや~、誰がどう見たって違う数字ですよね!

 

見た瞬間、文字列が違いますもんね!

 

いくら限りなく1に近いから、ほぼ1だからといって、

ゼロと小数点から始まってる時点で1が少しその上をいってるように感じますよね!

 

完全な1と、ほーーーーんの少し1に足りなかった、めっちゃ惜しい子。みたいな。

 

 

実は、1と0.999999999999・・・は同じ数字なんです。

 

 

納得いかない?

 

絶対違うじゃん、だって表記が違うんだから。

一方は1から始まって、一方は0からはじまってるんだから。

 

って思いますよね?

 

それでは論理的に証明していきましょう。

 

証明の方法はいくつもあるのですが、一番分かりやすそうなものを。

 

①1/3ってありますよね?「さんぶんのいち」です。はい。

 

この子ってつまり

「0.333333333333333333333・・・(以下無限)」のことじゃないですか。

 

この数字の並び、3倍してみましょう。

 

そりゃあ当然「0.9999999999999999999・・・」になります。

 

②ところで、1/3ってなんでしたっけ。

そう、1を3で割った数ですよね。

 

1/3に3をかけると、分母がちょうど消えて、1になります。

 

この①と②をふまえて、数式で表してみましょう。

 

1/3=0.3333333333333333333・・・

 

両辺に同じ数字をかけても数式は成り立ちますから、両辺に「3」をかけてみましょう。

 

1=0.9999999999999999999999・・・

 

はい!できました!わーーーーい!

 

確かに見た目的には、言葉上でちがうふたつの数字です。

しかし、数学上では同じ数として扱うんですね。

 

なんか気持ち悪くないですか?w

 

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いかがでしたでしょうか。

 

一応僕なりにわかりやすいものを選んだつもりです・・・!

 

パラドックス、ちょっと考えてみると論理って全然だめじゃんって感じがして面白くないですか?笑

 

世の中には矛盾がまだまだたくさん眠っています。

もっと面白いパラドックスももっともっとたくさんあります。

 

みなさんもたまには思考の旅をしてみるのもよいのではないでしょうか!

話題にこと欠いたときとかぜひ使ってみて下さいw

 

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

 


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